たぶん突然キリンが見えたら人はびっくりする。
特にキリンを知らなかった人が見たらそれはもう完全にモンスター。
身近な存在でいえば馬の首が長くなった感じ?
しかも黄色い。
ドラクエのドラゴンやFFのバハムートほどでもないのではありますが随分奇妙。
わけがわからない。
もし身近な人の首が長くなってしかも全身黄色くなったら当然通報するか除霊しようとすると思う。
それくらい謎のやつがギリギリ襲ってくるのでは?くらいの距離に見えたら本当に怖いのだろうけど、実際キリンは知ってるし、その動物園のそのエリアにキリンがいることも知ってる。のですが、キリンを見るつもりもなく訪れた場所(京都市京セラ美術館)から突然キリンが見えたら「うわ、すごい」となる。
そんな晴天の霹靂的キリンが見えたのが京都市左京区にある京セラミュージアムのテラス。
ミュージアムなのでそれはもう展示品に近視眼的集中力を要したあとのテラスの広大な眺めは最高で、細部にまでアート的な意味を求める肥え太った視線は自然とお隣京都市動物園で唯一京セラミュージアムからその生き生きとした姿を眺めることができるキリンに目がとまってしまいます。
これまで個人的にキリンがかわいいと思ったことはないのですが、ふと見る遠くの不意打ちキリンについては不覚にもかわいいと思ってしまった。
しかもそのキリン、何にもしていない。
のんびり歩いてるだけ。腹たつ。
ゆっくり歩いているだけでかわいいのはズルい。
たぶん前世で相当な徳を積んでいるはず。
ズルい。
現代アート的なハプニングほど嫌な感じのわざとらしさもなくとてもナチュラル。
しかし動物園という閉鎖空間に収監されているとすると、観光都市京都にくる世界中の目の肥えた鑑賞者たちから「うわ、アイツらかわいいやん」と思われることの差分はプラマイゼロでしょうねと思って自分を慰めるしかないのが尚更悔しいのです。あの首長め。
しかししかしどうでしょう。
もし仮に私が勤務中常に鑑賞者の目に晒されていて、その鑑賞者の目的が「かわいいを眺める」ことだけだとしてただただ消費されてしまうことについて私自身は何を思うのだろうか?
この「かわいい」や「消費」は極めて現代的な感覚で、言語化する前の脳を直接揺さぶってアドレナリンを出させるという存在に私はなりたいのだろうか。
いや多分この問い自体京セラミュージアムの空気にただただあてられただけで、実際は将来の不安もなくただただ自堕落な時を過ごしたいという私自身のストレスからくる平安のメタファー的キリンなのでしょう。
キリンからすると我々鑑賞者は「ただのご飯をくれない方の人間」としてしか認識していないでしょうし、国からすると「文句を言いながらも税金を納めるだけの無害な人間」としてしか思われていないのでしょう。
京セラミュージアムで以前から見たかった現代アート作品を見て、さらに突然のキリンを見て私は税金をチョットだけでいいから安くして欲しいなと思いました。
Presented by キョウトスイスイ
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