理想では朝早く起きて、ケトルにたっぷりのお湯を沸かしてコーヒーを入れて、ゆっくりと朝の清々しさを味わう。
でも現実は昨日の夜から徹夜で仕事をして気持ちを切り替えるためにフラフラになりながらお湯を沸かしてコーヒーを一気飲み。
全く同じ時間に全く同じことをしていても、その前後に何をしていたかで全く意味が違ってきます。
この場合はきちんとぐっすり寝たのかどうかで一日の始まり方が全く違う。
こんな違いが積み重なった人間ってできているのか、とかぼんやりした頭で思いを巡らせながら、今日こそは早く寝るぞと叶わない願いも、願わないと叶わないとかまだ眠たいことを考えています。
先ほど使ったウチのケトルはちょっとだけ珍しい真っ青で持ち手は木製、金具は金色。
ちょうど早朝の薄暗い中で青いケトルをガスコンロにかけるとブルーの炎に照らされて超神秘的な色合いに見えてきます。
ケトルをよく見ると一面青の表面の中には無数の焦げついた跡、いい感じの生活感が染み付いています。
いつもの部屋、暮らしの中の生活感には、個人的に良いものと悪いものがあると思っていて、昨日あげた油のハネが拭かれずにいるガスコンロの生活感はよくなくて、何年もかけて焦げついてきたケトルの生活感はいい感じ。
おそらくそこでの生活の痕跡のことを個人的に生活感だと思っているのですが、その痕跡からダイレクトに短い期間の生活、例えば昨日の晩御飯とか何を着て寝たのかとかを断定できるものはあまりにもプライバシーに踏み込みすぎて生々しいのでよくない感じがして、もっと幅の広い年月のスパンでぼんやりとソフトフォーカスがかかったような情景だけがうっすらと見えてくる生活感がよいものだと無意識に思っているだけなのかもしれません。
境界が不確かだからこそそこによい生活感を見つけたらなんとなく気分がよくなります。
Presented by キョウトスイスイ
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