ついこの間、近所にあってずっと気にはなっていたのに全然いけていなかった「電電宮」に行ってきました。
京都嵐山の渡月橋の南側の法輪寺内にある電電明神をお祀りする電電明神宮は電気や電波を司る神様で、主に電気を取り扱う会社から信仰篤く、近頃ではIT系の企業からも人気なのだとか。
1月中旬の平日お昼過ぎで小春日和とまではいかないものの、ほんのりと暖かな気候でちょっと行ってみようと、重い腰をあげてなかば衝動的に電電宮へと向かいました。
境内は平日の中途半端な時間だったのでひっそりとしており、最近ずっと続いている渡月橋付近の川底の整備をする重機の音が終始響いていました。
私は電気や電波に直接的には関係ありませんが、一部インターネットを用いた商売をしているのでそれこそ真剣にナムナム。
法輪寺の虚空蔵さんにも参った後に、電電宮のお守りと情報漏洩防止などに効くなんとも珍しい効能のステッカーを売店で購入しました。
電気電波の神様とは珍しいもので、伝わる力そのものを実在するエネルギーを通して信仰するというのは非常にナイスな文化だと個人的には思います。
最近特に思うのが苦しみの伝わる速さについて。
少し前までは苦しみはゆっくり伝わると「私のこと少しもわかってない!」って思われてケンカになるし、早く伝わると「私のこと分かってくれてる!」って感じでその場が収まる程度かなとぼんやり考えていたのですが、近頃戦争とか紛争とか不倫とかパワハラとか不景気とか世界中の苦しみがほぼリアルタイムでSNSやインターネットニュースで届くので逆に何も感じないというか、心が動く暇がないので、苦しみの伝わる速さにも適正速度があって、ある一定の速さを超えると大量の苦しみが世界中から一度に押し寄せてパンクする前にスルーしてしまうような安全装置があるんじゃないかと。
まず光の速さがあって、次に電気や電波の速さがある。そのだいぶ後に苦しみの伝わる速さがあるくらいが丁度いいんじゃないかなと思います。
万が一伝わる速さが遅過ぎてもケンカして疲れ果てて寝たら終わるような話。
Presented by キョウトスイスイ
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