仄暗い中で京都を見ると古いものと新しいもののディテールが曖昧になってフラットに見えてきます。
明るかった頃に見た古い建物にとって付けたようなテラテラした新しい装飾や、夜の人工的な光に沈んで見えない古い材質も、この仄暗い時間だけは奥の方でお互い静かに佇んでいます。
ひと昔前まではこの仄暗い時間には京都のほとんどの場所では人もまばらになった街路にシャッターの閉まる音が響いて「これぞ京都」みたいな感じで、それがしみじみ心に染み入りましたが、今では仄暗い中でも無理して自撮りをする観光客で溢れかえっていて様々な国の人の息遣いと言葉がいつまでも反響しています。
耳から入る情報というのも案外侮れないもので、複数の言語をなんとなく聞きながら歩いていると、なんとなくソワソワしていつもとちょっと違う場所にいる感覚、もっと詳しくいうと京都駅前のヨドバシカメラ店内のようななんとも言えない感じになります。
よく都市がショッピングモール化するというようなことを少し前まで聞きましたが、今では京都はなんだかヨドバシカメラ化しているような気がします。
そこここで複数の言語がBGMのように流れていて周囲はカメラやスマホなどのデバイスで溢れていて、誰も人を見ていなくて欲しいものばかり探していて、結局欲しいものは検索して購入するような空間?
仄暗い中でかつての京都を感じることができなくなったら、本物の京都はインスタで検索すればいつでも見れます。
Presented by キョウトスイスイ
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